※詳細な場所は不明

当湊では年貢の積出が行われた。また、ここを起点に島田・金屋・牧田(経て米原朝妻湊へ)まで陸上輸送されていた。六分の一税が課され、笠松代官所に納められていた。


栗笠・烏江船付湊の覚 ※最低限の現代語訳を加えています

  • 一、問屋の事、笠掛け(驛の指図や取決め)次第であるべきこと。
  • 一、船の事、番舟であるべき。ただ三郎左衛門・五郎左衛門両人のことは、湊の始めより馳走仕り(尽力し)て湊が成り立ったことであるから、二艘とするべき。内一艘は両人に任せて荷物番なしに積むことができ、 もう一艘は番付通りに積むことができること。
  • 一、船賃は御法度次第であるべきで、私を求めるべからず。付判の無い船には積んではならないこと。

以上

慶長十五年(1610)霜月晦日(11月末)  徳永法印書判
くりかさ村五郎右衛門  (栗笠村三郎左衛門・烏江村吹原勘兵衛各一通つゝ所持。古義)


駄賃の覚 ※最低限の現代語訳を加えています

  • 一、高荷一駄につき、栗笠村船着烏江から島田・金屋まで、上米一升七合、代二十文。
  • 一、島田から牧田まで、一駄につき米三升三合、代は四十文。
  • 一、五月は、右の三箇所から島田・金屋まで、米二升一合、代二十五文。
  • 一、島田から牧田まで、一駄につき米四升、代は四十文。
  • 一、米荷事、右三箇所から島田・金屋まで米一升四合、代は八十七文。
  • 一、島田から牧田まで米二升八合、代三十三文
  • 一、島田から栗笠船着・からす江(鳥江)三箇所へ、届けるのは商人であるべき。路次の遠近に関して馬追がとにかく難しいように申すならば、聞き次第、宿ならびに馬追を処罰すること。
  • 一、右の馬荷は御法度のごとく、一駄四十貫目(約150kg)とするべき。それより軽い荷は目方(重さ)次第で右の規定に応じ駄賃を取るべきこと。
  • 一、右の定めより少なく取る事は商人の相対次第であるが、右の定めより多く取った場合は問屋ならびに馬迫を処罰するべきこと。

右、定める所、件の如し。

十二月朔日(一日) 式部法印 書判 (栗笠湊問屋次郎左衛門所持、古義)

揖斐川には早くより六分ノ一稅を課し、 元和年中(1615-1624)より岡田氏がこれを徴収し笠松代官所に納めていた。(岡田家先祖書)


参考
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)

養老郡養老町烏江1087番地1
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