浄土宗、名古屋西光院の末寺。古くは中小田井の地にあったが、織田氏在城のとき、下小田井の河原の地に移されたといわれる。
天台・真言・三輪・浄土四宗兼学の寺で、長享2年(1488)織田大和守敏定が再建した事は棟札によってしられている。なお、棟札は『安政二年記』によると嘉永3年(1850)の火災で本堂が欠失し無くなったようだ。弘治3年(1557)の下小田井移築は光空によって開基し、浄土宗西山派に属した。
徳川家が浄土宗に帰依していたためか、藩祖義直以来、歴代藩主が鷹狩りの際の休息所・膳所になり、境内坊ヵ池は義直の命名で、殺生禁断の制札を与えられたといわれる。また、境内地一反五畝歩は備前検地で除地(免税地)となって優遇された。
本尊は古く薬師如来と伝えられているが、現在は文化10年(1813)、摂津国の光興竜慧融の寄進にかかる阿弥陀坐像である。恵心僧都の作。また中将姫の生髪で制作されたと伝承する織田氏寄進の阿弥陀像がある。
中将姫は国宝・綴織當麻曼荼羅の制作者である。天平19年(747)藤原豊成の娘として生まれた奈良當麻寺の尼僧。様々な逸話が残り、文楽や歌舞伎で題材となっている。
當麻寺 中将姫さまと當麻曼荼羅
参考
西枇杷島町史
『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)