名古屋より木曽路へ出る順路の宿驛で、小牧驛から土田驛までの馬継である。

この地は栗や榧(かや)等の果樹が特に多く、幕末頃まで鳥喰榧という大樹があった。それは実の殻に一つ穴があって他所のものとは異なっていた。むかし小鳥がきて、ついばんだ穴であるということで「鳥喰榧」として名産だった。毎年貴人に貢献していたが、枯れてしまい今は途絶えている。


『江尾往還躍』

信美二山凌險來。張城郊外望悠哉。忽伸連日崎嶇思。渺々苗田萬井開。 家田大峰

信濃・美濃の峻険な山々を越え、尾張の城は悠かに望むところにきた。連日の険しい道の苦難を伸ぶ。果てしなく広がる苗田、無数の家々の土地が開く。


善師野宿のある集落は伏屋(ふしや)といい、この名はその昔、 東山道が通っていた頃、ここに旅の病人や行き倒れのお助け小屋として、「布施屋(ふせや)」が置かれていた名残りであると考えられる。善師野宿の入口にはかつて番屋と高札場がおかれていた。

問屋(澤木家) の記録のよると、通行者として、織田信忠公・織田信長公・初烏丸大納言・押小路宰相中将・有馬中務太輔・高松殿・綾小路様などが記されている。問屋とは宿場の人馬の継立業務をするところで、必要な馬や人足を用意し、次の宿場まで運ぶ手配をするところである。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

犬山市善師野(大字)伏屋
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