春日神社の境内で毎年秋、仔馬の品評会や市が開かれた。当日は何百頭という牛馬が集まり、せり師の声がこだまして祭同様の賑わいをみせたという。
根尾村では江戸末期から馬を飼育する農家が増え、明治五年(1872)の『村々明細帳』では総頭数は221頭となっている。特に多い村は、水鳥の30頭、能郷の27頭、大井の26頭、高尾の23頭等である。明治十四年には379頭に増え、その頃から両大須などで牛が飼われだし、九頭が記録されている。
その後、牛馬の飼育は益々盛んになり、明治四十年(1907)頃川口次郎村長が馬の生産地にしたいと県に働きかけ、県種畜場から牡(おす)馬の預託を受け、毎年四月から七月まで市場下川原で種付けを行い仔馬の生産に力を入れた。当時は根尾村に牝馬が140頭程おり年間7、80頭の仔馬を生産されたという。四代目村長・梶原惣之助も畜産に力を入れ奨励し、奥羽地方や北海道から補助馬を導入して、種付場に厩舎を建てて仔馬の生産も拡大した。
大正の頃(1912-26)から馬の価格が下がり、仔馬の生産は減少した。このため県の種馬派遣は取りやめとなり、門脇の松葉喜三郎が個人預託を受け、自宅で種付を行った。松葉喜三郎は十数年にわたり種馬を管理し、殆ど無償で種付を行って村の畜産に大きく貢献した。戦時中の昭和十三年(1938)には軍用保護馬検定があり、三才馬以上が650頭、全飼育馬は900頭に達していたという。
昭和二八年(1953)頃までは馬が殆どの農家で飼育され、農耕に使われていた。また、自動車輸送が普及するまでは馬車輸送が主で、運送馬の挽馬が各集落に三、四頭いた。大東亜戦争後は農耕に牛が使われるようになり、昭和三十年(1955)頃より農耕の機械化が進んで牛馬の繫殖は姿を消した。やがて肉用牛の飼育が始まり昭和四四年(1969)には村が下大須・上大須の河川敷を借上げて牛の放牧が行われ、大河原の国有林で林間放牧も行うようになった。昭和五三年(1978)には700頭余の牛が飼育されていた。
参考:『根尾村史』(根尾村、昭和五十五年)336-338頁