筑摩神社

鍋を被る女子

孝安天皇の代に大歳神と稲倉魂神を祀ったのが始まりである。もとは岩脇村の石仏山の下にあったが、後にここへ移したという。

昔は筑摩の四方四町ほどが柳の森であり、長さ三十丈におよぶ大きな柳もあった。そこで三神を柳の下に祀り、祭礼を行った。そして三つの社を並べ建てた。すなわち御食津神、大歳神、稲倉魂神である。その境内は西は琵琶湖に面し、東は川、南は湖の際、北は朝妻橋に及び、上多良・中多良・下多良、梅原、甲田の産土神である。中世に社殿が傾き境内も滅びたため、氏子たちが相談して三神宮を建立した。

毎年二月の午の日に農具を奉げる。四月八日には八人の少女がおのおの鍋を頭にかぶり、神に奉納する。もし少女が淫を犯していれば、その鍋はたちまち破裂するという。また、この地の女子が嫁ぐときは必ず鍋をかぶり、再婚であれば二枚、三婚であれば三枚をかぶるのが古くからのしきたりである。在原業平の歌にある

近江なる 筑摩の祭とくせなん つれなき人の 鍋の数みん

とは、この風俗を詠んだものである。『文徳実録』には、仁寿二年(852)三月に近江国筑摩神に従五位下を授けたと記されている。

参考
『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)

米原市朝妻筑摩1987番地
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