旧尾張藩本陣で、大黒屋旅館として泊まれる。現在、細久手宿では唯一の宿である。

尾張藩藩主は一般大名との合宿を避け問屋酒井吉右衛門宅を「尾州家定本陣」として利用し、細久手宿の控本陣としても使用された。

問屋

問屋は、公用継立や公用宿泊の指図、宿内取り締まりなど宿方業務の一切を行った宿役所であり、役所は問屋場、人々は宿役人とよばれた。問屋場には問屋役・年寄・帳付け人馬指図・常使・七里(飛脚)などが詰めていた。

問屋役は二人で務め、宿泊の本陣や、村方役人の庄屋を兼ねた。本陣の小栗八郎右衛門と酒井吉右衛門が世襲し、事故のある時は下条仁兵衛・浅井儀右衛門から就任した。

年寄は問屋の補佐役で毎日問屋場へ詰め業務が遅滞なく行われるよう処理する。二人制で一人は脇本陣の小栗氏が世襲し、他は小木曽仙右衛門・酒井吉右衛門が主として担った。

帳付け人馬指図は宿内の適任者が担った。帳付は宿方の収支経理など文書事務にあたり、初めは一人で幕末は四人へ増えた。人馬指図は人足指図・馬方指図各二-四名が担った。

各役人は半月または一日交代の勤務で有給。

参考:『瑞浪市史 歴史編』(瑞浪市、昭和四十九年)758、759頁

瑞浪市日吉町