天明元年(1781)に水野代官が置かれた。
天明元年(1781)国奉行役所が類焼して新築されるのを機に、尾張藩は所付代官を設置し、給知・蔵入・寺社領問わず全ての村を所付代官の支配下として村への命令伝達を一本化した。それまで尾張藩は国奉行の下に代官・郡奉行を置き、代官は蔵入地を郡奉行は給地を管掌して、国奉行所で租税賦役の徴収や宗門取締など民政を処理していた。所管の村々に行かなかった為、実態把握が不十分となっていた。山方野奉行や用水奉行もやがて廃止され代官の管掌へ移され、圦奉行も主要な圦・橋の普請・修復のみを担当するようになった。
天明元年(1781)五月:佐屋、北方(現一宮市)、水野(現瀬戸市)
天明二年(1782)四月:鳴海(現名古屋市緑区)、小牧、鵜多須(現愛西市)、太田(現美濃加茂市)、円城寺(現笠松町、天明五年廃止)
天明三年八月(1783):神守(現津島市、享和三年-1803廃止)、横須賀(現東海市)、上有知(現美濃市)、清須