数十基ある尾張・美濃の切支丹燈籠の中で、形式が理想的に近く、個人庭園ではなく誰でも観賞できる場所にある。この碑は本堂の東北の小丘、墓地のやや東北寄りに南面して立ち、材質は花崗岩、高さは約1m。火袋はなく、竿上部に接する所に経文や舎利を納めるための孔があり、笠の下に大きな入り口があって蓋のように覆われている。竿石はラテン式十字形で、正面十字の結合部に特有の記号があり、竿には釣鐘マント風の衣裳を着た高身の人物像が彫られている。左右に四名宛の浄土宗の法名、裏面に元禄八年の銘がある。笠石は通常の燈籠と異なり洋式器具の線を備えている点が特徴的。

豊臣秀吉家臣で茶人・千利休七哲の一人古田織部正重雲の考案した織部燈籠と称するものであるが、竿石の形式等から潜伏切支丹の遺物であるともいわれる。なお、森徳一郎氏によると、七哲の内に細川忠興・蒲生氏郷・高山右近と三人の切支丹大名がおり、織部は大坂の陣の結果自殺して果てた性格であるので、海外文明を取り入れた斬新な燈篭を造って当時の茶人を驚嘆せしめたのであろうと推測している。

参考:『尾張切支丹 年表 札所巡礼』(森徳一郎、昭和一九年)62-

名古屋市南区笠寺町上新町83番地
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