志津野城

池田信輝在城

武儀郡。山城。別名「津野城」か。

池田勝三郎(庄九郎)信輝が城主だった。のち◎犬山城に移る(天正九年 [1581] まで)。おそらく、信長の美濃侵攻の◎堂洞城攻略(永禄八年 [1565] )に関わるものであろう。近くの◎齢峯寺に信輝と長男・之助(元助)の無縫塔がある。

池田信輝の来歴

源三位頼政卿の弟に、左馬亮泰政という者がいたが、母方の伯父・紀朝臣秦貞の子となって姓を紀秦政と改めた。美濃國池田之庄(現岐阜県揖斐郡池田町周辺)は外祖(母方の祖父)の領地であったため、その地に住み、池田蔵人と申していた。その後、姓を原と改めた。勝三郎源信輝の代まで、代々池田之庄に居住していた。信輝ははじめ、信長に仕えて「信」の字を賜り、のちに将軍・足利義輝公にお目見えして「輝」の字を賜わって「信輝」と号した。

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)

関市
種別