戦国山城ミュージアムと、その前に金山城裏手門がある。

金山城裏手門は、犬山瑞泉寺に江戸時代に金山城より移築されていたが、「美濃金山城おまもりたい」の求めに応じ、還ることとなった。建立は室町時代初期で、我が国最古の城門である。犬山城一階と同じく鑢鉋(やすりがんな)が使われている。鑢鉋は室町時代の工具である。年輪の非常に細かい糸柾の木曾ヒノキの大木が使われていた為、細い柱でありながら400年余もの風雪に耐えてきた。後年城門として主流となった高麗門の先祖であるといわれている。

戦国山城ミュージアムは玄関に面する2階で、当地の山城である金山城及び久々利城、明智城の説明やジオラマがある。1階では、兼山のまちの商会がある。

兼山では茶が名産で、尾張藩御用達である。兼山は木曾川に沿って古城山麓の狭小な帯状の一局地にあり、地味は赤土の石混りの、徳川時代の「旱損の地」と呼ばれた土地(干ばつの被害を受けやすい)で茶の栽培に適している。明治初年には、兼山村の山麓地帯の全域に亘って茶園が開かれていた。また開国で横浜港より兼山茶が大量に輸出された。ここでは茶壺が展示されている。

兼山より木曾川の流れが大きくなり、舟航が盛んであった。明治28年(1895)7月に定められた船の運賃と運航時刻が刻まれていた定め書きが展示されている。

岐阜県可児郡兼山町『兼山町史 復刻版』(平成16年)498頁

可児市兼山
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