初めて白釉を案出して茶壺を焼き、織田信長に献じた景光は、瀬戸から良土を求めて土岐郡郡尻(現久尻)に至り久尻焼を始めた。ここに美濃焼の歴史が始まる。
景光の四子の内の四郎右衞門景延もまた良工として知られ、白袖の茶碗を後陽成天皇に献じ、慶長二年(1597)七月五日、官旨を賜り、筑後守を受領した。
肥前唐津の浪士・森善右衞門は久尻清安寺の先住・一周和尚との縁で当地を訪れ、景延とその製陶の得失を論じた。景延は唐津窯の製法を学ぶため、善右衞門帰国に同行し唐津へ赴き、帰郷後に初めて唐津式の竈を作った。これにより郡尻竈を筑後焼上作の道具窯として、美濃の製陶技術を向上させた。景延は寛永九年(1632)二月に卒し、清安寺に墓がある。
参考:『濃飛兩国通史』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)365、366頁