※詳細な場所は不明。一宮市浅井町尾関におく。

小塞宿禰

尾関村の人。おぜきのすくね

『續日本紀』

延暦元年十二月庚戌。内掃部正外從五位下小塞宿禰弓張言。弓張等二世祖近之里。庚午歳以降。因居地名從小塞姓。望請依庚午年籍。改換小塞蒙賜尾張姓。許之

(:延暦元年(782)十二月庚戌。内掃部正外従五位下の小塞宿禰弓張は、弓張等二世の祖先は庚午の年以降、居地の名に因んで小塞姓を名乗る。しかし庚午の年籍により換えて小塞を改めて尾張の姓を賜ることを望み請う。これを許可した

尾関石見守

尾関村の人。尾関大和守吉秀の末裔の尾関新右衞門、その子六右衞門は、父子とも福島正則に属し、新右衞門は隠岐守と名乗り、六右衞門は石見守と名乗った。正則が安芸の広島藩主に配置された時(1601)、父は一万石、子は二万五千石を領した。石見守は欠唇(唇が裂けていた)だったが、武勇に秀でゝ、世に賞賛されていた。事蹟は『岩淵夜話』に詳しいのでここでは略す。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

一宮市浅井町尾関東本郷12番地3