池田郡雲門庄。
承和(834-848)の頃という往古、池田宮内少輔維実が当城に居城した。維実は、本名は維理といい、母は美濃國池田郡の住人・左衞門尉維将の娘である。従四位下に叙された。
天慶(938-947)の頃から時代を遥か隔てて國枝氏が居城した。國枝大和守為助(紋は釘貫)は、文明年中(1469-1487)に土岐氏に属して、武功によって池田郡のうち本郷を領し、城を築いて居城した。
その後、國枝一源入道は、龍徳寺が建立した。その子・國枝大和守正助(始め三郎、法號宗龍)が継ぎ、天文二十二年(1553)頃までここに居城した。厚見郡鏡島城主・安藤民部藤原守行入道定三の子・七郎左衛門守元と伊織成元と同属に、國枝大和守がいる。
のち國枝佐渡守が継ぎ、永禄四年(1561)頃の舊記が龍徳寺にある。のち國枝三河守が継ぎ、信長の天正頃に安土に在城し、のち本郷に居城、天正十二年(1584)に没した。
参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)