武儀郡関の町の北にあたる山に跡がある。
長井豊後守利隆の子である長井隼人佐道利が、永禄年中(1558-1570)、信長に攻め取られ、のち隼人佐は将軍足利義昭に従い、攝津において討死した。
参考『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)