大湫宿の脇本陣は、本陣の宿泊が重なった際に後から来た客を受け入れるための施設として機能した。公卿や大名、旗本らの宿泊が二組以上となる場合、先客が本陣を使用し、後客が脇本陣または控本陣に宿泊した。本陣が確保できない場合は、旅程を延ばして次の宿場の本陣を利用した。大名の往来が多い際には宗昌寺が控本陣となり、大通行時には大旅籠屋も宿泊に用いられた。脇本陣であっても宿泊時には藩主の名が入った高張提灯や高札が掲げられ、陣幕が張られた。料金の定めはなく謝金として支払われた。
大湫宿には本陣が二軒あったが、享保十一年(1726)に一軒が脇本陣となった。脇本陣は保々長左衛門が世襲して明治維新まで続いた。
建物は門構えで間口16間、奥行き12間、建坪数98坪。
参考:『瑞浪市史 歴史編』(瑞浪市、昭和四十九年)763、764頁