力長村にある。社伝によれば、当社はもとは清須にあったのを、慶長御遷府の節(慶長十四年、1609)、当村へ移したといい、近辺の大社で、末社に神明社・縣社・源大夫社・齋宮司社・疫神社等がある。瑞籬・拝殿・透垣・鳥居等もある。
また、この社の境内の砂を取って安産の守とすると、必ず霊験がある。
例祭 八月二十九日。獅子・神樂・馬の塔を出す。隣村今市場村・安良村とも、獅子・馬の塔を当社へ出す。そのうち安良村は一つ物として、女人形の乗懸馬を一匹出す。これを神功皇后といって、この社へ御神縁の人形であるとして、もし出さなければ必ず凶事があるという。なので三箇村より一日牽き渡すため、たいへん群集おびたゞしく、境内から溢れるほどの賑わいである。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)