曹洞宗、岩倉龍潭寺の末寺。大壽山と号す。天正二年(1574)戌二月龍潭寺の天洲和尚が、弟子の明賢という僧を開山として、当寺を開創した。はじめは元小牧にあったのを、元和九年(1623)今の地へ引き移した。

明和年中(1674-1772)布毛和尚がここに住まれた頃、京都の大雅堂からこの寺の観山桜の図を写し贈られたが、その時の詩が、和尚の詩集『金山稿』にある。以下の記し、世に広く伝える。

さて当寺の山号は、そのころ松壽山といったが、改号した。また境内に紹巴の碑あり。


霞樵生の贈るを観山桜図を写し謝す

松壽山は名古屋城の西北に在り。一楼がその上に建つ。顧みてこれを見れば、東に芙蓉(富士山)有り、西に伊吹有り。のみならず十三州の名山、連綿として囲み、我が楼の中の物であるかのようだ。青河・幼水、帯のように左右に映り。南は大海が遙かに広がる。ああ一大観である。故に扁して観山という。西京の霞椎生、自らその景を掃して、図を作り贈られて見る。布毛、これに感謝しいかの若し。

先生の詩賦は桑州に流れ、なぜ更に奇をほしいままに翰墨に遊ぶのだろうか。彩りは精巧で神が在るが若く。写し出す観山十二楼。座中を驚殺する距離は三千里。山河、掌の上に浮かぶものに限らず、 伊吹の積雪は寒く雪は落ちるが如く。芙蓉の彩りや霞は本物か疑ってしまうかのように流れる。雲のような樹々は蒼々として海に連なり。稲穂の上を、雁が渡る金城(名古屋城)の秋。灘聲(川のせせらぎ)は近くに、雨が降ろうとし。心醉、悠悠として留まっていることを忘れる。観る々山々楼々。楼上の布衲(筆者のこと)は既に白髪頭。本は一つも無く、何によって報いようか。この一曲の長歌を暗投に擬す。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

小牧市小牧5丁目162番地
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