富秋村稲富字の井口山の山上に円墳が三基あり、最大のものは封土の径約12.7m/高さ約3mあり、いずれも石室を有し南向きである。
字天王山の東に突き出た山の尾先には石室が露出し、その西には封土が径約10m/高さ約3mのものがある。この塚は完全な状態で残り、南に石室口を開き、二室に分かれ、羨道は幅約1.2m/長さ約2.1m、玄室は羨道より天井高く、幅約1.8m/奧行約5.5mある。
その南の宇洞山との境に石室を露出するものがあり、その東に径約7.3mの塚、南麓に径約11mの塚がある。宇日向塚の丸山東北端に近くにも、東向きの石室がある。字一ツ塚の平地上にも封土がある。その東の字十二塚にも以前には塚があったが今はない。
参考:『揖斐郡志』(揖斐郡敎育會、大正十三年-1924)800、801頁