採掘地は木曽川沿いで坂祝小学校前300mの対岸にあった。従業員の過半数は坂祝村民で採掘した鉱石は坂祝駅より発送された。
鉄鋼原料として使用される満俺(マンガン)の鉱山で、満俺含有量は35%から50%である。昭和十三年に富山市の吉田清平氏等によって開発され、終戦と同時に休山した。
その後、高尾繫太郎氏等は譲渡をうけた。戦時中の乱掘でほぼ廃坑同然であったので、多額の投資をし水平抗より低部採掘を立案し、坂祝村より木曽川横断の送電線を架設し動力を利用して採鉱から鉱石運搬、排気排水を、送鉱された鉱石は架空索道にて木曽川上空を横断し対岸の取組の貯鉱場に搬出し坂祝駅より積出する計画である。調査では含有量の低い20%鉱石が推定鉱量5000トン、35~50%鉱石が推定鉱量2000トンを見込んでいる。
参考『坂祝村史』(坂祝村教育委員会、昭和三十年)104、105頁