国指定史跡。盲目の軍師大谷吉隆(吉継)は石田三成の懇請により宮上に布陣し、中山道(東山道)を押さえていたが、合戦半ばに小早川秀秋が裏切り、脇坂・朽木・小川・赤座もこれに加わり、吉隆を南側面から攻めた。藤堂・京極は正面から攻めたので、吉隆は遂に自尽した。戦後まもなく藤堂家より五輪塔を建立して供養した。大正5年(1916)吉隆の近臣湯浅五助の子孫が建立した墓碑もある。

関ヶ原町『関ヶ原町史 通史編別巻』(関ヶ原町、平成5年)6頁

不破郡関ケ原町山中
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