関の藤川

都落ちの窮状を訴える

不破郡関ケ原の西、不破の関跡の西にある。近江国坂田郡藤川驛の方から不破の関の際に流れる。昔から橋で渡る。

勅撰

都落ちのような歌が多い。

『古今和歌集』二十(延喜五 [905] 頃)、元慶(877-885)の歌人の歌

美濃の国 関の藤川絶えすして 君につかへん 万代まても
大歌所

『風雅集』雑(貞和二年 [1346])

神代より 道ある国につかへける 契りも絶えぬ 関の藤川
前攝政大臣 號光明峯寺

『続古今』賀(文永二年 [1265])

万代に 仕へてそ見む月も猶 影をとゝむる 関のふし川
前関白左大臣

『続拾遺』雑(文保二年 [1318])

つかへこし 世々の流れを思ふにも 我身に頼む 関のふし川
藤原為兼

『藤川百首』関路早春(嘉元二年 [1304] 頃)

たのめこし 関の不士川春来ても 深き霞に 下むせひつゝ
定家

『新後撰』釈(元亨元年 [1321])

いかにせん 関の藤川世々を経て つかへし跡に 浮瀬残さは
前大納言実家

『続後拾遺』(嘉暦元年 [1326])

行水の 哀れとおもへつかへこし ひとつ流れの 関の藤川
入道前太政大臣

同、雑(関の藤川と中山と続合)

つかへこし みのの中山隔つとも しつみな果てそ 関の藤川
参議為実

『続千載』雑(元応二年 [1320])

我まては 世々にかわらすつかへきぬ 猶末絶えぬ 関の藤川
為世

『新千載』(延文四年 [1359])

忘しな 世々にも越えて君に我 つかふる道の 関の藤川
右大臣
頼むそよ 関の藤川末まても おもふ心を 君にふかめて
一條内大臣
つかへねは 住むかひもなき世の中に 沈みて流る 関の富士川
読人不知

目、船

数ならぬ 関のふし川漕く舟の 法のためにや 常に仕へまし
法印雪禪
紀行、日記

上と比べると前向きか。

歌枕(長保二年 [1000] 頃)

藤川の 淵瀬もしらすさてさして 衣の袖を ぬらしつる哉
好忠 淵瀬も分からぬまま進み、袖を涙で濡らす

『十六夜日記』(弘安二年 [1279] 頃)

永仁六年(1326)鎌倉に下るとして関の藤川を渡り、阿佛始は安嘉門院の四條という女房にて定家卿の息・爲家卿の室となり爲相卿を産む。
十七日さめが井。十八日みのゝ國せさのふぢ川わたるほどに、まづおもひつゞける

我ことも 君につかへむ為ならて わたらましやは 関の藤川
阿佛 我が子を仕えさせる為ならば、越えてゆくしかない
11月

名歌雪、伊吹、駒

雪わけて おろす伊吹の山風に 駒打なつむ 関の藤川
秀能 雪を分けるほどの伊吹山の風に、馬は立ち往生

『小島のすさみ』文和二年(1353)道の記

さても猶 しつまぬ名をやとゝめまし かゝる淵瀬の 関の藤河
二條関白良基 浮き沈む世に沈まぬ名を留めたい

『藤川記』 文明五年(1473)道の記なり

思へ君 同し流れの絶えすして 萬代契る 関の藤川
一條太閤兼良 私たちの関係はこの川の流れのように永遠に絶えない

『建保百首』(建保三年 [1215])

吹すてゝ 風は伊吹の山の端を さそひて出つる 関の藤川
康光
春の嵐 さそふ伊吹の山櫻 花をもらすな 関の藤川
範家

『雪玉集』(天文六年 [1537] 頃)

つかへこし 程は雲井の世々を經て 霞を分くる 関の藤河
内大臣實隆 雲の中で仕えた日々を経て....

『新後明題集』(中院通村の生涯は天正十六年 [1588]〜承応二年 [1653])

敷島の 道のしるへにくる春の 霞を世々の 関の富士川
中院通村

参考
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)