柏原の南方の住宅地の中にある。狐塚ともいう。
元禄十年(1697年)に京都町奉行による検査があり、土人は桓武天皇の山陵というが確定していない。また或いは応神天皇の皇子稚渟毛二岐皇子の御陵墓だともいう。成菩提院は桓武天皇の勅願所であったため、後にこの地に墓を築いたと伝わる。
古墳は、長径約16m、短径約11m、高さ約1mの墳丘がある。墳長部にあった天井石の大きな石は戦後に持ち去られたという。明治四十年二月頃の調査では、北西方向に開口する両裾式の横穴式石室で、玄室の側壁は左右ともに四石を配し、長さ約4.2m、幅約1.1m、羨道は幅約1.1m、長さ不明。奥壁は大型の一石。出土遺物は、金環2、銀環1、刀子1、須恵器の平瓶1、𤭯(はんぞう)1、坏(はい)身1等。これらのことから七世紀初めのころと推測される。
参考
『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)420、421頁
山東町史編さん委員会『山東町史』(山東町、平成三年)21、22頁