大井荘は東大寺の荘園で、八幡神社は東大寺八幡宮を勧請したものである。勧請の時代は不明であるが、『縁起』には元弘建武の頃(または建武元年、1333)大井荘一八郷の百姓らが奈良から大井荘に勧請したと記されている。最初は藤江村字皀莢(さいかち、現藤江町)に鎮座していたが、後に当地に奉遷した。当地にはもともと地主神として稲荷神社があったが、八幡社を本社として遷座し、左に稲荷社を配祀、右に新たに天神社を造営して三社となった。正平六年(1351)の東大寺文書にある稲荷修理の記録は、この社のことでないかと思われる。
四月中の卯の日に三社例祭を行う事とし流鏑馬を行う慣例があった。また競馬も同時に行われた。
その後、境内に神宮寺も建てられ、やがて光明院と改め明治維新の頃まであった。
参考:『新修大垣町史 通史編 一』(大垣市、昭和四十三年)88、375頁