荘内川の当地での名。玉野村の南、定光寺の御廟山に接する。美濃の土岐川・雨澤川が落ち合い、十三峠の谷々、日吉川などひとつになってこゝに至り、南の方より水野川が来て合流し、春日井郡中を経て、下流は愛智・海東両郡の境を流れて海に入る。
この川、無数の白石が水中に出没し、巨巌が山のように断岸にそばだち、老松が枝を倒して絶壁にのび、激湍が石にぶつかり白雪を翻し、清流は砂を帯びて練(絹)をさらすようで、水の甘さは茶を煎るによろしく、石の平らな様子はゆったり腰を下ろすによい。山の谷に傍って列れるは、百千の松を戴きて、さながら翠い幕を広げたようで、実に山水の奇観至れり尽くしている。美濃の金龍道人は山水に通じた人で、天下に周遊し、あらゆる佳境勝地を探討したが、この玉野の奇観を見て、「山水天下に冠たり」と嘆賞したほどで、山水の奇絶想像すべし。とりわけ初夏の杜鵑花(さつき)、暮秋の紅葉(もみじ)が山にうつろい水にひたしている様子は、また十倍の風光である。
玉野ニ游ブ 千村伯就
東極山東玉野ノ邊。放邀侶ヲ携ヘテ塵纏ヲ出ヅ。奇巖競ヒ秀ヅ浮雲ノ外。逆水爭ヒ流ル怪石ノ前。噉蔗ノ情本末ヲ志スニ堪ヘタリ。採樵ノ翁神仙ニ接スルヲ訝ル。斯ノ如ク佳境三殉〆罷ン。自覺ユ家ニ歸テ腹果然。
(:東極山の東、玉野の辺り。気の合う友人を携えて煩わしい俗世を出る。奇巌が競い秀かぶ浮雲のほか、逆水が争って流れる怪石の前で、噉蔗の情(中国の故事でサトウキビをまずい方から順に食べて佳境に入ったこと、物事を進めるほど面白味がますこと)根本から末節を味わうのに十分である。薪を採る翁は神仙に接するかのように驚き、訝る。佳境を三度巡り歩いて旅を終えた。気付くと家に帰ってお腹はいっぱいであった。
『枇杷園句集』
玉野の様子を見るに、静けさを体として、淋しさを用とする。鳥が樹の上で啼き、水が岩にむせぶ音、いづれも淋しくないはずがない。しかし体は一つで、用は百千に別れる。百千に遊ぶ人なお多くなく、また一に遊ぶ人も少ない。世を憂くことよりは住みよいと住む人でないか。小さな松の庵に、文机のほか見るものなく、傍らに同じような僧がいて茶を煮る。いかなる人で渡らせなさるかと問うても、見るのみものもいわず、うらやましい住処かなと、この石に尻かけ、
花の雲これらもしづかならざるや 士郎
いかゞとおもふこゝろより、このように申せば、ああやかましいと、傍らに有る僧は戸を閉め、ますますこゝろは惹かれていく。日は西の山にかくれて、見るものみな朧ろにかすみ、小倉の山は暗い木の間になっていく。
朧夜やおぼつかなくもほとゝぎす 同
と口ずさめば、かの僧出て来て、「茶のよく煮えて侍るに、しばし」と言い迎えられる、たいへんうれしく、立ち上がって入る。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻四』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)