享保一三年(1728)の『湯舟沢不動明王記』によると、照永が吉祥院を開いた。天正の頃のようである。川並部落に「お不動様」とよばれる一堂を建て、最澄像を祀った。その像には「文禄元年壬辰四月 天台沙門照永作」の銘がある。本山派(京都聖護院)に属す。

本山派は修験道の一派。修験道は奈良期に始まり、護摩や呪文による祈祷や難行・苦行から神験を修得する仏教の一派である。平安期に密教の隆盛とともに寺規として取り入れられ、醍醐寺の聖宝が大和・大峰山を開いて中興となった。修験道は大峰山を中心に、大和葛城・伊予石鎚山・豊前彦山・加賀白山・出羽羽黒山など各地に広がり、修行者は山伏と呼ばれた。帰京して祈禱を行う場合は合験者といった。鎌倉期には大峯山の天台系と吉野の真言系が競合し、慶長一八年(1613)に諸国の山伏は醍醐寺三宝院の当山派と聖護院の本山派に分けられた。

参考:『中津川市史 通史 上巻』(中津川市、昭和四十三年)712、713頁

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