惠曰山光圓寺。もとは大津町通小櫻町西南角にあった。東本願寺直末。延徳元年(1497)、太田甚左衞門尉頼信(のちに従五位下武蔵守に任じられる)剃髪し、蓮如上人の弟子となり名を善西と改め、当寺を創建した。はじめは海西郡中田村に在ったが、慶長九年(1604)清須に遷し、御遷府(名古屋開府に伴う清須越)ののち、ここに移した。
本尊の裏に「唐櫃(からうど)村」の文字見えるのは、この寺がもともと伊勢國桑名郡香取庄鹿浪渡(からうど)にあったためであるという。或いは、永正年中(1504-1521)からうどから海西郡茨江の中田へ移ったともいう。
当寺は石井家猶子地であり、翠簾紫幕等みな石井家よりの寄附である。
名古屋光圓寺に残月亭というものを新たに造ったと聞いて
淸げなる 窓に殘れる月影は 西と敎ふる 法のためかも
石井行宣卿
参考
『尾張名所圖會 前編 巻二』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)