もとは「菅生(すごう)天神」といわれ、南部の小木境に祀られていたが、低湿地でたびたび水害を遭ったことから、慶長十二年(1607)に郷前へと移された。
しかし、慶応四年(1868)五月の入鹿池の決壊による大洪水でその場所は荒れ果て、村人らは洪水防止を願い荒地化した別の場所に移したようである。かつての跡地周辺には「大門前」という名が残っている。
大正二年(1913)に始まった耕地整理によって美田となったが、昭和四十年(1965)の名神高速開通などで倉庫が建ち並ぶようになった。
なお、この地区には「舟橋」姓を名乗る者がことのほか多い。
参考
小牧市史編集委員会『小牧市史 本文編』(小牧市、昭和五十二年)225、226頁