畠村にある。今は八幡と称す。『延喜神名式』に若栗神社、『本國帳』に従三位若栗天神と記す。祭神は羽栗臣の祖神天押帶日子命。『民部省圖帳』に

若栗明神。神田三十有餘束。充國司之受税。和銅二年所祭。饒速日命也

(:若栗明神。神田は三十余束あり、国司の税に充てる。和銅二年(709)に祀られた神社で祭神は饒速日命(ニギハヤビノミコト)である

と見える。

社人 若栗神社の同地にある松本氏。もとは若栗に遍照院といって、真言宗、紀伊國高野山西方院の末だったが、故あって寶暦十三年(1763)より名古屋七ッ寺の末となる。当社及び宇夫須奈神社の社務で、長年の梵刹だったが、乱世に衰廃し、慶長十年(1605)当所の領主兼松修理亮正吉が再興して、旧観に戻し、明治元年(1868、辰)八月故あって社人となる。

参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)

一宮市島村南裏山75番地
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