寛政(1789-1801)の頃のことである。
黒瀬町は南北に建ち並び、商家が多く繁昌している湊町である。本郷札ノ辻より木曾川渡場まで約660mある。家175戸(うち四日市場に八戸)、男女654人、馬はない。鵜飼船(舟運の船)が60艘あり、白木問屋は2戸、商人荷物問屋は1戸あるほか、船乗も多い。
この湊は、当所や近村の商荷物はもちろんの事、苗木領から毎日人々が背負って持ってきた荷物や牛馬荷物等を船積みにして木曽川を下り各地へ運送するに便利なところである。それゆえ、兼山あたりよりも湊の町並は賑わしくみえる。
ここから西南(末申)の方に対岸伊岐津志村への馬渡船が一艘あり、これは地方御勘定所金を拝借し造作されたという。黒瀬は高163石8斗7合。
江戸時代における旧村略史より細目村(米田庄)黒瀬
参考
『濃州侚行記』寛政(1789-1801)