全国に建立された安国寺の一つで、足利尊氏・直義兄弟が、禅僧・夢窓疎石の奨めによって、後醍醐天皇の冥福を祈るために建立した。正平二年(1347)、北朝暦で貞和三年八月、京・東福寺の虎関師練の弟子・端巌光和尚を招いて安国寺は開山した。本堂は同年八月に落成し、塔頭には瑞雲院・南陽軒・凝翠院・集雲軒・黄梅院・常楽寺・養息軒・天寿院・正面寺の九ヵ寺院が軒を連ねていた(『飛州志』)。当初は大徳寺末であったが、元中三年(1386)に妙心寺派に転じ、宝徳元年(1449)には天下十刹に列した。
応永二年(1395)以前、南陽軒主・超一が明国で三年かけて「一切経」を購入し、益田郡奥田洞の豪族夫婦・奥田弾正少弼頼親が寄進した経蔵に納めたといわれる。経蔵は国宝に指定されている。奥田弾正は、永徳年間(1381-84)頃に現荻原町宮田に住み着いて開拓し、「奥田洞」の由来になったこの土地の草分け的豪族で、後に上呂方面まで勢力を伸ばした。現在の上呂の龍泉寺の前身、数珠輪山毘沙門寺も奥田氏の創建と伝えられる。
安国寺は、創建以来幕府の庇護を受けて栄えたが、室町政権の衰退とともに衰え、永禄六年(1563)に甲斐武田方による千光寺焼打ちの際に類焼し、祖堂と経蔵を残すのみで崩壊した。
参考:荻原町史編集室『荻原町史 第一巻・自然・先史・古代・中世編』(岐阜県益田郡荻原町、平成14年)219-221頁