中山道の宿駅
『日本書紀』の景行天皇の条に次のようにある。
四十年(110)十月、日本武尊は尾張に帰り、尾張氏の娘である宮簀媛を娶り、滞在して月を跨いだ。ここで近江の伊吹山に荒神ありと聞き、剣を外して宮簀媛の家に置き、歩いて伊吹山に向かった。山神は大蛇に化けて道を塞いだが、日本武尊は主神が蛇に化けているとは知らず、大蛇は荒神の使いであると思い「主神を殺すを得ば、その使者を豈に求むるに足らんや(主神を殺したならば、その使者など相手に求めるだろうか」と、蛇を跨いでそのまま進んだ。山神は雲を起こして雨を降らせ、峰は霧に覆われ谷は暗くなり、進むべき道もなくなって途方に暮れてさまよった。しかし霧を押し分けて力ずくで進むうちに、わずかに抜け出すことができた。なおも意識を失い酔ったようであったため、山の下の泉のほとりに寄り、その水を飲んで正気に戻った。それゆえ、その泉を居醒の泉という。
『源平盛衰記』が記すには、日本武尊は体が苦しくもだえたため、冷やそうとして弓で地を掘り清水を得た。今の近江の醒井はこれであるという。『撰集抄』には、仲算が剣を執って山の端を切ると清水が滝のように流れ出た、醒井の水はこれであると。また一説には、醒井の水は美濃の養老の滝より出ているともいう。
参考
『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)