池田信輝の老臣から市橋長勝へ

初め池田信輝の老臣森寺清右衞門(五千石)・戸倉四郎兵衞(五千石)が居たが、小牧長久手の戦いで信輝が戦死し転じた。天正十五年(1587)、市橋下総守長勝池田郡から転じて一万余石を食む。

竹腰正信 名古屋城防衛の要衝

慶長五年(1600)関ヶ原役後、慶長一二年(1607)に徳川義直が尾張に転じて、翌年より尾張一国の検地が行われた。家康の命によって義直の重臣は、名古屋城防衛のため要衝の地に給知が与えられた。元和五年(1619)、美濃国内五万石が尾張藩領となった。

同年、両家年寄の竹腰正信が三万石を拝領し、元和八年(1622)より安八郡今尾を在所とした。竹腰氏は、今尾周辺の長良川と揖斐川に挟まれた地域や、知多郡二千七百石、また伊勢湾に面した西浦を中心に知多半島中部の大草から海岸線に沿って給知が配置された。

竹腰氏の先祖は竹腰攝津守重吉入道道鎮(道塵)で、斎藤道三に仕え、天文十七年(1548)より永禄二年(1559)まで大垣城主だった。その孫の正信は徳川義直の同母兄にあたる。慶長六年(1601)に家康に仕えて甲斐で五千石を賜り、同十二年(1607)には義直の傳(もり-教育係)となって五千石を加増、同十七年(1612)には家康から一万石を、元和五年(1619)には義直から一万石を与えられ三万石となった。元和八年(1622)より安八郡今尾に住み、代々尾張藩附家老として犬山の成瀬氏と並び仕えた。

参考
『濃飛兩国通史 下巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)27頁
『養老町史 通史編 上巻』(養老町、昭和五十三年)171頁

海津市平田町今尾
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