伝馬町中程に立つ辻地蔵である。もとはこの像は三河國重原村(現刈谷市重原)の野原の中に倒れていて、捨て石のようになっていた。
ほうろく(素焼きの平たい土鍋)を売る者が、三河から尾張に向かう途中、荷物が不足して片荷が足らなかったので、この石仏を拾い片荷に充てた。ここに来てほうろくを売り尽くし、石仏を海辺の芦(あし)原に捨て置いて帰った。
のちにところ(地元)の者が見つけて安置しようとしたが、まったく起き上がらなかった。怪しんでその下の土を掘って上げようとしたところ、土の中にこの仏の台座と思われる角石が、深く埋もれてあった。各々不思議の奇遇(めぐり合わせ)なりとして、その尊石を堀り出し、この像を据えたものが即ちこの地蔵であるという。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)