北方村の木曽川の堤の上にある。小祠だが老杉が森々(しんしん)として、趣きがある。
大日如来を神社と崇めるのはいかゞと思われるが、『延喜神名式』に、常陸國大洗磯前薬師菩薩神社、又美濃國池田郡弥勒菩薩神社などいった例も多いので、むしろめでたいことである。むかしから霊験の評判があって、参詣する人が絶えない。
むかし当村の左市という者が、この大日を尊崇して、「人に優る力量を与えたまえ」と祈念したところ、いつのまにか力が強くなった。ある年の春、左市が川向こうの圓城寺村の伯母の許に行ったところ、伯母が雑煮餅を作り与えたが、切った餅を五十枚余り食い尽くして、なお飽き足らない様子であったので、伯母は呆れて、「汝大食いをして、どんな利益があるのか」といいながら笑い興じていた。左市も微笑み、「できることもないが、この裏にある竹藪の中にした事があるので、行って見給え」と言い捨てゝ帰った。かの藪の中を見れば、尺廻(一尺約30㎝)もあるような大竹二本が、立ちながら根元から末まで、葉と共に縄で編んで置いてあったという。
またある時、左市が小船に荷を積んで、木曽川を下っていたところ、折しも朝鮮通信使の通行で、起の渡に船橋がかゝり、往来する上下の舟はとまっており、左市の船もとめられた。もとより小さな舟なので、左市は岸に上がり、舳先をとって堤へ引きあげ、荷をつみながら細引(紐)で横に背負い、ゆう〳〵と二三町運び、船橋の南でもとのように水に浮かべて、漕ぎ下ったという。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻五』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)