三寶山と号す。兒玉村にあり。曹洞宗、名古屋永安寺の末寺。慶長八年卯年(1603)鏡屋首座が建立し、その後、永安寺二世・孝國淳和尚が開基した。
本尊の聖観音は、国君が山田即齋に命じて彫り刻ませ、寄附された木像である。
鎭守神明社は、元和四年(1618)十月十六日に赤雲が村の南から来て、当村の大日堂の前に留まった。その場所を見れば、伊勢神宮の大麻と木馬一躯があったので、村民は相議して社を建てて、かの二物を納めて、神明社と崇め祭った。国祖君がある時、この地に遊びなさり、当山を伊勢山と名付け、また社の辺りの川に橋を駆けさせて、おいせ橋と名付けなさった。その川を後に「おいせ川」という。元禄十丁丑年(1697)にまた修造された。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)