郡上鷲見郷の地頭鷲見藤三郎家保は、承久の役(承久三年-1221)で関東方に属し、その地頭職を安堵される。

守護所 下
鷲見郷下司家郡上三郎(藤原家保)間所
右件家保、今月四日可申賜武藏守殿御消息云、郡上三郎今度自鎌倉奉付御共令上洛之上、且件郷相傳之由云々、早相尋次第證文、可令安堵之由、蒙仰之間□□證文明白也。仍可令安堵之由、下知如件
承久三年七月 日
守護所源 御書判

郡上鷲見氏は藤原氏から出て、鎌倉の初めに頼保という人物があり、その孫の重保は郡上太郎と云ひ相伝の御家人である。おそらく頼保の頃より地頭職となったのでなかろうか。その子は先の家保で承久の乱に所領を安堵する。その子郡上太郎保吉、郡上藤三郎諸保共に弘安八年(1285)七月より九月に至り、内裏二條西土門で大番を勤めた。保吉の子に郡上彥三郞長保、その子に藤三郞忠保がいた。忠保は元弘建武の際(1331-1338)に表れる(『鷲見家譜』)

参考:『濃飛兩国通史 上巻』(岐阜縣教育會、大正十二年-1923)422、423頁

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