もとは市場町通、伝馬町の西にあった。◎熱田の辺り。俗に「源太夫社」、また「智恵の文珠」ともいう。熱田摂社七所の一社である。
『延喜式』に上知我麻神社、『本國帳』に正二位上知我麻名神とある。千我麻は郷名で、『和名抄』に愛智郡千竈と見えるのはここの事か、或いは今の星崎村の辺りであるとも言われ確かでない。しかしこの神がここに鎭座していることから、ひとまずここを千竈とするのがよいだろう。
祭神の小豐命は尾張氏の遠祖、また当國の國造で、『舊事記』の國造本紀に、「尾張の國造は志賀高穴穗朝天別天火明命十世の孫である乎止与命を國造と定められた。」ことが見える。
境内にある。毎年正月五日の初市に、惠比須・大黒の摺絵(木版刷の札)を授かり、またお福餅・掛鮒・苧・葱などが売られる。みなこの大黒を祝して福を祈る意味である。俗に「御福迎」という。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)