軽海西城

本巣郡。

大永五年(1525)の春、松波庄五郎が初めてここに住んだのち、文殊村の祐向山に移った。(稲葉石鹿入道という説もあり『美濃明細記』)。

その後、永禄三年(1560、庚申)より池田勝入(恒興)の家老の片桐半右衛門が要害を改修してここに住む。片桐縫殿助為春の子であり、助作且元の従兄弟である。のちに半右衛門は、池田勝三郎信輝の臣となった。天正十五年(1587)の夏、半右衛門は安八郡池尻村の◎池尻城へ移った。

一柳氏

天正十七年(1589、丑)三月、一柳伊豆守越智直季が住んだ。翌天正十八年(1590、庚寅)、天正十八年(1590)相模国小田原の北条氏攻めの時、直季は太閤秀吉に従い、小田原山中の城にて討ち死にした(墓は山中にある)。これより城主は断絶した。直季は軽海にて六万石余を領していたが、もとは岐阜の今泉にて成長し、幼名を市助といった。

伊豆守直季が討ち死にした後、弟の四郎右衛門直盛という者を太閤より召し出され、尾張国黒田の城を賜って三万五千石を領した。後に監物と改名した。その子を一柳丹後守直重といい、次男を美作守直家、三男を蔵人直家という。子孫は徳川家に仕えて末長く繁栄した。

参考
『美濃國諸舊記 卷之四』(作者不詳、寛永の末年頃か-1644)『国史叢書 美濃國諸舊記全 濃陽諸士傳記全』(編者黒川眞道・発行者國史研究會、大正四年-1915)より
『美濃明細記』(伊東実臣、元文三年-1738)

本巣市軽海640番地
種別