現在は跡形も無い。

勝山は鵜沼、太田の中間で、徳川時代の鵜沼宿、太田宿の合いの宿として、御立場と立場茶屋が5軒もあり繁栄した。

勝山一の財産家の信濃屋平四郎という人がいた。常に「筍笠」という一文字の笠を被っていられたのも此の人一人だったということである。弘化二年六月に亡くなり、名古屋市に住んでいた孫の平三郎氏は老年故郷に帰り死亡され今は子孫が絶えてしまった。
街道側の高塀には大きい門があり、ここから川端にある大きい御座敷まで美しい道がずっと通っていた。中山道を通る大名が休息になるときは、門から御入りになって、川端の御屋敷で御一服御茶を召し上がりつつ木曽川の風景を御賞覧になった。

参考『坂祝村史』(坂祝村教育委員会、昭和三十年)134頁

加茂郡坂祝町勝山