やつるぎのかみのやしろ。本社の南三丁(約330m)にあり、日割御子社の西にあたる。即ち「下の宮」と称し、熱田摂社七所の一社である。『延喜式』に「八劍神社」と見え、『本國帳』に「正一位八劒大名神」と記されている。和銅元年(708、戊申)九月九日(戊寅)の鎭座で、多治見眞人池守・安倍朝臣(名が欠けているが、『続日本紀』には「宿奈麿」とみえる) を勅使とし、新造の宝剣が納められて「八劒宮」と称し奉る。別宮として年中の祭祀は本社と同様に行われる旨が『熱田正縁起』にみえる。
祭神は十座。神秘とされていて、それぞれがいずれの神であるか分からず、そのため、謹んで我が意を交えないこととする。 細川玄旨の『東國陣道記』に熱田に陣を置き、社務惣検校の家に泊まった際、あるじや社僧の法蔵坊が出られて雑談のついでに、当社の内の八剣宮は日本武尊であるという話があった後、発句を所望されたので、
かぞへみん 幾支かねぬる 花の宿
本社の西にある。八子・八口は同じ読みで、『延喜式』に、出雲國大原郡の八口神社と同例の神であろう。その國の「杵築社記」に、大原郡斐伊郷中簸川辺りに杉が八本あって蛇頭を祀り、仁田郡尾原村に蛇の尾を祀って、石壺大明神と号する、といわれている。その八口神社はこの蛇頭のことだと思われる。
『日本紀』に、「大蛇あり、頭尾におのおの八岐(また)有り....云々。その蛇を斬り....云々。これを視れば中に一剣有り、これいわゆる草薙の剣なり」とあるのを合わせて考えれば、八口というのは頭に八岐ある意味、八剣とは、尾に八岐あることを表したものであろうから、 ここに八子の社を建てたのも故ある事である。
『あづまの道記』
八剣宮へ参りけるに、雨が少し降り出してきたので
宮めぐり 神もやしるきときしもあれ 天のむら雲 立ちぞまよへる
烏丸光廣卿 宮めぐり、神の霊験もある頃だろうか。天の村雲(草薙剣の異名、天叢雲剣にちなむ)が立ち込めている。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)