松原源吾の居城

松原氏は天文年間(1533-54)の松原島、笠田島、野中を支配していた豪氏である。美濃土岐氏の家臣であり、兄弟ともに主君土岐頼芸の「芸」をもらい、源吾は芸久、弟内匠は芸定と号していた。
その後、斎藤道三に仕え、織田氏の美濃攻略では斎藤軍の先手とない戦功を立てた。天文十一年(1542)大桑城の攻略では松原源次郎左衛門(笠田の住人)とともに参加し、天文十三年(1544)松山の戦いでは道三の密命を受け無動寺の砦において、土岐頼香を暗殺した。長良川の戦いでは義竜軍に従い、その後の一族の家門を守った。

松原源次郎左衛門(笠田の住人)

斎藤父子の戦いである長良川の戦いにおいて道三方につき戦死した。斎藤道三は美濃守土岐頼芸の愛妾三芳野をうけ妻にし、既に孕んでいた子新九郎高政、義竜に稲葉山城を譲り、自身は長良川対岸の鷺山城に退いた。しかし、義竜は道三の実子の竜重・竜定を誅殺し、道三は怒り対立が起きる。

参考:『川島町史 通史編』(岐阜県羽島郡川島町、昭和五十七年)372-374頁

各務原市川島渡町