往古、飛騨古街道は当地の鹿塩ー上坂ー下麻生を経て飛騨に向かった。春日神社の棟札に「白坂下に柳の大樹あり、県明神の尊像風雨にさらされて」と記され、県役所が置かれたとされる。県は大和朝廷時代の地方行政組織の一つで、任務の一つは街道を往来する伝馬の中継地だとされる。その後、役所は移転し、県大明神は春日神社に合祀された。
青銅製の鹿がある。西栃井の岩鳥修三氏が鹿塩郷土史研究クラブに寄贈し、鹿に縁のある春日神社に奉納した。クラブ員の観察から、体の六個の紋様と背中の鞍下毛布らしき模様から中央アジアのものと考え、県教育委員会に鑑定を依頼したところ、インドまたはセイロン(現スリランカ)で鋳造され、釈迦の弟子である鹿野王が乗った故事に由来するとのことである。
参考
『かわべの文化遺産』(川辺町教育委員会、平成14年)25頁
『広報かわべ No202』(岐阜県川辺町、昭和61年)8頁