大垣の三清水の一つで、藩は制札を立てて保護した。当地では三清水のほか井戸が無かったため、用水が使用に堪えない時はこの三清水を使用した。
天明二年(1782)頃、大垣岐阜町のこんにゃく屋又七という者が、鉄棒で自噴性堀抜井戸を掘ることを考え、これにより大垣諸所で堀抜井戸ができた。
参考:『新修大垣市史 通史編一』(大垣市、昭和四十三年)596頁