闇森は「くらがりのもり」という。古渡橋筋の北側にある。祭神は應神天皇・神功皇后。また鎭西八郎為朝の霊を合祀するともいう。永正十八年(1521)鶴見道親以下六人の僧俗、力を合わせて重修した。
元禄(1688-1704)の頃、石黒某が母が
その昔 植ゑにしきぎの年を經て 月さへもらさぬ くらがりの森
(:その昔植えた木々が年月を経て茂り、月の光さえ漏らさない暗がりの森
と詠んだように、今も古木が森々として、昼間も暗い神祠である。
尾頭橋の東にある。為朝がこゝに住んでたいと言い伝えるが、古書に所見なく定かでない。為朝の嫡子義実は、尾張國知多郡に隠れ住み、孫の市部太郎義季はこゝ市部庄に居住した。そのためその祖の墓を築いたものだろうか。また牛立村願興寺の伝文に、為朝の子の尾頭次郎義次がこゝに住んだことが見えるが、これも定かでない。為朝に四男一女あるが、義次と名のる人がいない。しかし為朝とゆかりがあり、その塚がないともいえないので、広く語られる伝説にまかせて、強いて是非を論じない。
参考
『尾張名所圖會 前編 巻一』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)