柏原の北三町余にある。土人は法華塔といい、中納言源具行(北畠具行)の墓であるという。

『太平記』によると、元弘二年(1332年)、源中納言具行卿を佐々木佐渡判官・道譽が路次を警固して鎌倉へ下しなさった。

近江の柏原にて斬りなさるべきと探襲して来て言われたので、日が暮れる頃、御興を差し寄せ載せ奉る街道の西の山際の松の一株の下に御興を上げさせた。敷皮の上に居直り、硯を取り寄せ辞世の頌を書いた。

生死逍遙四十二年山河一革天地洞然六月十九日某

と書き、筆を抛て手を合わせて座したと見えれば、田兒六左衛門尉が後ろに廻ったと思うと御首は前に落ちたと。

この塔は貞和三年(1347)十一月廿六日田兒六左衛門の建てたもので、清瀧寺の僧法華經を一石に一字つ、書き納むという

参考:『近江名跡案内図』(静里北川舜治、明治二十四年-1891)421頁

米原市
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