瀧之寺

信長公が手習い

圓融山瀧之坊。堀内町にある。天台宗で、野田の密蔵院の末寺。天文二十年(1551)、良温法印が愛智郡古井村より移して越田備後守信秀が中興した。その子・信長公が幼少のとき、この寺で手習い(習字など学問)されたと言い伝えられている。

『宗長手記』に、


永六年(永正六年、1509)三月二十七日、熱田の宮社参宮めぐりしつるに、松風神さびて誠に神代おぼゆる社内(境内)。この御神は東海道の鐘護の神とかや。宮の家々くぎぬきまで汐の満干。鳴海・星崎、杜の木の間〳〵(合間合間に)伊勢の海見渡され、ここの眺望たが言の葉も足るまじくなん。旅宿・瀧の坊(にて)興行(あり)、筑前守(小田井城主・織田良頼か)来りあはれて

ほとゝぎす まつのはごしの 遠干潟
ホトトギスがさえずり、松の葉越しに遠干潟

神官人所望に

うす紅葉 松にあつたの 若葉哉
春

と見える。その時の興行に宗長が用いた文台が、今もこの坊にあり名物となっている。

  • 本尊 虚空蔵菩薩。
寺宝
  • 信長公所持の龍の硯七つ。
  • いろは巻物一軸、妙法院常胤法親王の御筆。
  • 涅槃像、兆殿司の筆。
和歌

『大発句帳』(室町時代後期)
あつた瀧の坊にて

海松や こり初し世の しぐれ哉
宗碩 海松(海藻の一種)を採りはじめた世から変わらぬ時雨かな
冬

『富士見道記』
宗長以来宿をせし瀧坊にて

宿かるも 尾花がもとの 名残哉
紹巴 宿を借りるも、ススキの根元の名残(かつて逗留した宗長の面影の)が残っているからよ
秋

宗祇宗長の文台を見て

月雪の 影やうつらん うるしずれ
桂五 月や雪の明かり(先人の風雅な詩情)が映っているのだろうか、漆のずれに
冬

参考
『尾張名所圖會 前編 巻四』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

名古屋市熱田区白鳥2丁目6番8号
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