幕末頃は興聖山惣見院といった。北市場にあり。臨濟宗、京都妙心寺の末寺。この地は名古惣見寺の旧地で、長い間廃跡だったが、正保元年(1644)惣見寺の閩山和尚が、国祖君(初代藩主徳川義直)にこの廃地を拝領して、隱居所とする。則ち國老・寺尾土佐守に命じられて、仏閣を経営し、閩山に賜う。こうして「惣見院」の號を賜い、その後瑞龍院君の御染筆である『興聖山』の額を賜わった。また撞鐘は、延寶四年(1676)篠田・櫛田両氏の寄附であるが、櫛田氏の末裔は、清須の脇本陣である。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻三』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)