※正確な場所は不明
池田地方の年貢米の土場。『明治十四年町村略誌』によれば、杉尾村に三一艘の民有船舶があり、池田町内では最も多い。伊尾川の舟運に従事する船頭が多く、村の戸数五十軒の男の大半が船頭で、船稼によって生計を成り立たせていた。
幕末の頃の旗本加藤家の貢納米は、御倉役人の検閲を終えると殆ど在地で売却されたが、領主の指示で貢米を桑名や四日市(米問屋あり)へ川下げしたり、また江戸へ廻送する場合は、この杉野の土場まで馬で運び、杉野村の船頭によって運ばれた。
山際の舟子・段・般若畑・宮地方面から山洞・藤代・片山・市橋からも杉野まで馬で附出し、杉野の船頭の荷船で川下げしていた(明治1-5年各村明細帳)。なお、幕領大垣預りの池田野新田などの一部の貢米は丈六道から川下げされた。
参考:『池田町史 通史編』(岐阜県揖斐郡池田町、昭和五十三年)393、394、396、439頁