曹洞宗で、西明寺(現豊川市八幡町)の末寺。

以耘(いうん)和尙が開山した。しかし創建の年月は詳かでない。文和三年(1354)四月二十三日熱田神領注進に大脇郷と見えて、当地の大脇は古い地名である。

本尊釈迦の木像

今川義元の位牌

表に『天澤寺殿四品前禮部侍郎秀峯哲公大居士神儀 永禄三庚申年五月十九日戰死四拾三歲、」うらに『永祿三年庚申五月十九日。駿州府中城主今川治部大輔源義元。與尾州清須之城主織田上總介平信長合戰。義元不利而終於桶狭間戰死。當山第二祖立喜。引導燒香於此畢』とある。
永禄三年(1560)五月十九日に駿州府中城主今川義元が清須城主・織田信長と戦い、桶狭間で戦死した。第二祖立喜がここで引導焼香を行った事が記されている。また松井次郎宗信の位牌や、鞍・泥障等も伝わる。寺の西八町ほどに今川義元の塚があり、石塚と通称する。

寺の問前に松露海と大きな池がある。老松数十株が水際にあり、幽景だ。かつてこの門前まで潮水が打ち寄せていたため、今も松露海の名が残る。

塔頭東光庵

参考:『尾張名所圖會 前編 巻六』(岡田啓・野口道直、天保十五年-1844)

豊明市
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