丹羽村にある。『延喜神名式』に爾波神社、『本國帳』に從三位爾波天神としるす。今当村のみの生土神(うぶすな)となったが、じつは丹羽郡の惣氏神である。もとは大江川の東にあったのを、寛文六年(1666)に今の地に移した。よって往昔の社地を古宮という。祭神は神八井耳命。『集説』によれば、神八井耳命は尾張丹羽の臣の祖である。例祭は八月十五日。社僧は惠日山東光寺。臨済宗、葉栗郡黒田村寶光寺の末寺。
またこの村に鷲津氏という人がいる。もとは美濃國の土岐美濃守・源頼藝の末裔である。天文十一年(1542)斎藤氏に侵攻され、この地に来て蟄居する。それから数代を経て、寛政年間(1789-1801)の当主を幽材といい、博学多才で門人多く、名を立てた。その次の正俊は俗に九蔵または松隱という。その次の弘之は俗に徳太郎または益齋という。その次の宣光は郁太郎または毅齋と称す。共に家学(=家の学術継承のこと)を伝え、遠近の諸生・雲水僧等が多く従う。幕末頃の当主を光恭、俗に五郞左衞門または蓉裳と称した。また家の評判を継いで生徒は多かった。その内の毅齋は幕末頃には江戸にあって、安政三十六家絶句にも入り、たいへん世に知られていた。
参考:『尾張名所圖會 後編 巻六』(岡田啓・野口道直、明治十三年-1880)